初めてのパソコン
本棚を整理していたら、こんなものが出てきました。
きゃ~~~っ、近藤勇さま~~っ。
・・・じゃなかった、私が初めて買ったパソコン「Aptiva S-series(B60)」のカタログです。
香取くんの右に置いてあるのはネコの手ではなく、ジョイスティックです。
3Dゲームとセットで付いてきたんですけど、一回も使わなかったです。
そういえば、カタログに挟んであったメモに「FTPダウンボード」って書いてありました。
頼む、単なる書き間違いであってくれ私よ。
APPLEのPCはとうの昔からパソコンという機械にデザインを求めることが普通に行われていましたが、あのころはWINマシンはいかにも事務機器って感じのパソコンばかりでした。
ちょっと変わったとこで、東芝ブレッツァが色が黒かった、くらいでしょうか。
「そんな無味乾燥な機械を、あたくしの部屋に置けるとお思い?」てな感じで、白い箱は絶対買いたくないと(笑)。
(注:私の部屋は築40年のオンボロ木造和室、ハムスターの囓ったあと数知れず)
PCに詳しい友達やお店の人は、こぞってNECのバリュースターにしろとアドバイスしてくれました。
確かにバリュースターは質実剛健、値段もお得、アプティバと同じ金出せば17インチCRTにできたんです。
イメージ・キャラも私の好きな竹中直人だったので、かなりゆらいだんですが(笑)、マンション借りたからって藤原紀香は来ないのと一緒で、バリュースター買っても竹中直人が遊びに来てくれる訳じゃあありません。
何もかもが懐かしいMMXペンティアムプロセッサ166MHz搭載。
や、でもMMXが搭載されたのって、これが最初くらいだったハズですよ。
他のはみんな普通のペンティアムだったもん。
HDDドライブはなんと2.5GB。
今ではWindows Update分だけでHDDが一杯になりそうです。
だけど、もっと昔からパソコンをいじってる人たちからは「HDDはkb単位だった」「コンピュータからはき出される紙テープを読める人もいた(本当か?)」なんて話も聞くので、ギガ単位のHDDを背負ったパソコンは(そんなには)いばれないのかも知れません。
これ買ってニフティに入って、パソ通しまくりの毎日でした。
ホームページを最初に作ったのもコイツ。
モバイルが流行った時に、コイツを台車に乗せて移動しようかなんてしょーもない話もしましたねえ。
このパソコンには語り尽くせない思い出がたくさんあります。
私のブログのURLもこのパソコンに敬意を表してaptyとなっているわけです。
ちなみに、当時のバリュースターのカタログも出てきました(物持ちいいねえ)。
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コメント
しのぶさん こんにちは.
私が最初に買ったHDDは40MBで11万でした.大学時代に紙テープを読める人がいました.紙テープはその名の通り紙なので,穴の個数が多いコードのところが切れやすいのです.切れたら貼り合わせるので,どの部分が切れたか知る必要にせまられて覚えたようです.大学時代 私は紙テープの使用経験はありませんが,パンチカードと呼ばれる80カラムのカード(1枚がプログラム1行)を使用していました. 2台あったパンチングマシーンの1台はカナキーがありませんでした.これをパンチャーは英数2文字を重ね打ちする事でカナコードにしていました.ほとんど英数にごくわずか混じるカナの時だけ桁送りを止めて,それもブラインドタッチでパンチする技に,スゴイといつも感心して見ていました.
投稿: TAMO | 2004.06.10 22:36
ひゃあ、本当にお茶の水博士みたいな人がいたんですねえ。
あれはマンガの世界だけの話なのかと思ってたんですが(笑)。
日本語よりC言語の方が堪能、ってプロフィールをたまに見かけると、「あははは、うまいジョークだ」と笑っていたのですが、それもあながち誇張ではなかったのかも・・・。
アポロを飛ばしたNASAのコンピュータも今のファミコン程度の能力しかなかったなんて話を聞くと、「偉い」以前にその命知らずな度胸にゾッとしてしまいますが、磁石とアバウトすぎる海図で世界中を航海してた時代もあったのだから、人の好奇心とか底力のすごさに改めて感動してしまいます。
先人はみんなすごいっ。
投稿: しのぶ | 2004.06.11 19:15