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2011.04.18

無事に帰ってきました

さきほど無事に自宅に戻ってきました。
車中泊を覚悟して行ったけれど、なんとか親戚の家に泊めていただくことができて、岩手ではずっと暖かい屋根の下で眠ることができました。
被災地まで押しかけて、結局、被災者のみんなに助けてもらっちゃいまいした・・・。

覚悟はしていったつもりだったけど、あまりのひどさにただ呆然とするばかりで、ようやく会えた人たちに、むしろ「何もなくなっちゃったけどがんばるからね」と元気づけられる始末でした。
家があったところは瓦礫が手つかずで残っていて、近づくことができませんでした。
前の姿を知っている私たちにとってあまりに無残過ぎて涙も出ません。
写真も撮ったけれど、ここに載せたところで意味はないのでやめておきます。

そういえば、東北道から沿岸に向かうあらゆる道で、自衛隊、機動隊、警察、病院関係の車、「災害派遣」「がんばろう東北」などと書かれたゼッケンを貼ったトラックや作業車をたくさん見かけました。
ナンバーを見ると、本当に全国各地からやってきているようでした。
テレビのCMなどで「みんながついています」という台詞をよく聞きますが、あれは本当なんだなと強く実感しました。
支援が遅いという話も聞きますが、中の人も外の人もみんな本当にがんばっています。
あまりに被害が大きくてなかなか行き渡らないことも多いけれど、それでもみんなががんばっています。

道路の部分は車が通れる幅だけ瓦礫が撤去されて、たいていの場所には行けるようになっています。
信号が根本から流された場所もたくさんあるけれど、みんなで譲り合ってたくましく走り回っていました。
人間て、というより生き物って、どんだけ叩かれても負けない、懲りない、そしてまた立ち上がるんだなって思います。

釜石では桜が咲き始めていましたよ。

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コメント

しのぶさん、お帰りなさい!お怪我もなくよかったです。

被災地に直接行けなくともレポを拝見して更に実感が増しました…なんかもどかしい気分がします…なにか更に出来ないのかな…

現地で特に需要があるのに届いてないものはありませんでしたか??

こんな事…すいません、でも!
実は被災したおばは肌が弱くて女性用のデリケート軟骨が欲しいとこっそり訴えていました。
食料が一番ですが、避難所で一週間シャワーも浴びれず辛かったようです。
テレビでそんな事言えないと思うし、そんな話他に聞きませんが。あぁ、なんだか…直接行けたら、と思います。

とにかくお疲れさまでした!

投稿: みら | 2011.04.18 10:09

>みらさん
どうもありがとうございます。
一ヶ月以上たって、物資はだいぶ行き届きはじめていました。
地震そのものの被害はほとんどなくて
水の来なかった地域はいつもの見慣れた風景が広がっていました。
道路1本、橋1本隔てただけで、大津波が来たのが嘘のようです。
お店も普通に開いています。
右を見ると地獄、左を見るといつもの町。この落差が悲惨さを増長していました。
なので、同じ町内にいる人でも個人個人で全く状況が違っていました。

みらさんのご親戚にも被災した方がいらしたんですね。
会いたい人に直接確認して、行っても迷惑にならないようなら
ぜひ会いに行かれることをおすすめします。
みんな、地獄を体験してきてとにかく吐き出したがっています。
嫌な話ばかりだし、時には「被災しなかった人には分からない」と
一番つらいことを言われてしまうこともあるけれど
それをもひっくるめて受け止めなきゃいけないなと。

被災地に行くことが難しくて、でも、連絡を取ることは可能なのであれば
直接その人に必要な物を聞いて届けるのが良いと思います。
家が残った人、家を失った人、あるいは住んでいる地域によっても
必要なものが変わってくるし、
避難所や知り合いの家に身を寄せてる人は、何かもらっても
仮設住宅に入れるまで置く場所がない、という人もいるでしょう。
私も女性用品が必要かと思っていたのですが
そういったものも今では手に入れることもできているようです。
服なども、はじめのうちは救援物資の古着を着てたけど
今は新しい服も手に入り、知り合いの家に身を寄せている姉は
「避難所の人の方が私よりおしゃれな格好をしてる」と笑っていました。

あとは私たち外にいる者は、今まで通りの生活を継続して
働いて消費して経済を滞らせないことが大切ですね。
何もできないと思っていても、
納税することでそれが被災地の復興に使われるのだから
ちゃんと役に立っていますよ。

投稿: しのぶ | 2011.04.18 15:04

ともかくお疲れさまでした。

投稿: ryo | 2011.04.20 19:02

お久しぶりです。
いぜんこのブログにお邪魔させていただいていた釜石の「やはた」です。
釜石訪問、お疲れ様でした。

家族全員、無事に生存しています。
私の家(浜町の市営釜石ビル)は、8階だったため部屋は大丈夫でしたが
1~2階が浸水しライフラインがまだ復旧していません。
そのため被害の無かった、私の実家に身を寄せています。
ようやく明日4/22に電気が通るとか。

ちなみに職場は片岸でしたが、クルマ共々流失してしまいました。
従業員は全員無事です。
壊れたクルマの画像はみんカラにUPしてあります。

そのためまた千葉に転勤となります。
次は釜石に戻れないかも。

でも、今度は家族で行く予定なので前向きにがんばりますよ。

投稿: やはた | 2011.04.21 23:33

>ryoさん
ありがとうございます。
日曜に帰ってきたら、東京は桜がすっかり散ってました。
そして、何事もない平穏な毎日。
今は私たち、被害のなかった者がしっかり経済をまわさないとね。


>やはたさん
こちらこそご無沙汰しています。
お元気そうでなによりです。
やはたさんのみんカラは震災直後からずっと見ていましたよ。
浜町もすごかったけれど、鵜住居、片岸も何もなくなっちゃいましたね・・・。
笛吹を通って橋野の無事を確認し、栗林の親戚に寄ってから沿岸に着いたのですが
テレビなどで見ていたとはいえ、
変わり果てた釜石市の姿にただ呆然とするばかりです。
なんで釜石市は消防や警察をあんなとこに作ったのか、
まあ、今さら言っても仕方ないことですね・・・。

てかあれ?やはたさん、私、話してませんでしたっけ?
定内の電水、親戚なんですよ。たしか弓道で?
彼からいち早く、やはたさんの無事を聞いていましたよ。
そうそう、それとやはたさんのブログ仲間の方からも
リンクをたどっていらっしゃったんでしょう、
安否を心配するメールをいただいていました。
みんながはやたさんを心配していましたよ。

千葉に戻られるのですね。
ご家族のためにもそれが一番だと思います。
釜石に帰省することもありますよね、
私も今まで通り釜石に帰省して、少しずつ復旧していく町を
見守っていこうと思っています。
大丈夫、きっとまたボーッとした(笑)釜石市に戻ります!
早く大勝軒のたこ焼きが食べたいです。

投稿: しのぶ | 2011.04.22 00:45

nikko81です。

直接、被災地とゆかりのないわたしは、
正直に言って、どうコメントしていいかも
わからないのですが・・・・

いろいろあるのだろうと思いますが、
そして、思い込みもあるのかもしれないですが、
やはり、被災地の方々は何とたくましいのか、
と思ってしまいます。

もし。考えたくはないけど、
首都圏で同じような災害があったら、
その被害の多寡はともかく、同じように、
強く、そして連帯感と優しさを持って、
立ち上がれるのか、と少々不安に思えてなりません。


投稿: nikko81 | 2011.04.25 00:32

>nikko81さん
こないだまで三陸沿岸の市町村のサイトがほとんど消滅して
(きっとサーバーが壊れたり流されたんでしょう)
ついにgoogleからも消えちゃってたんですが(汗)
4月に入ってから釜石市や陸前高田市、
町が全部なくなった宮城の南三陸町までサイトが復活してました!!
大船渡市などはまだのようだけど、できるとこから
どんどん復帰してるようです。
なんかもう、たくましいぞ君たち!!!

あんな未曾有の災害ですもん、体験した者でなければ
本当の恐怖は分からないですよね。
ただねえ、正直、津波はもう済んだことなので
あとはもうひたすら復旧に向けて突き進めば良いんだと思うんですよ。
問題は、福島のみなさん。
あちらはまだまだ現在進行形だし、これからどうなるかも分からない状態で
みんなにかかるストレスは計り知れないものがありますよね・・・。

あんなのが東京など大都市に来たら、その被害はもう想像もつかないです。
隣に誰が住んでるのかも分からないような土地柄で
いったいどうやって協力すれば良いのか・・・。
それを考えると、本当に暗澹とした気持ちになりますね。

投稿: しのぶ | 2011.04.25 01:13

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