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2011.05.01

震災時に使えたメディア、ダメだったメディア

3月11日の昼過ぎ、私は東京でいつものように会社で仕事をしていました。
始めは大したことなかったのですが、揺れはどんどん大きくなり、これはマズイとみんな机の下に潜ったり、出口付近の人はコートを着て脱出する準備を始めていました。
かなり長いこと揺れが続いたので念のために作業中のファイルを保存して(笑)外に避難しました。
その後も何度も何度も揺れが来て多くの人が屋内から出てきており、車も道路上で停まっていました。

ここから社内の全員が、家族に連絡を取ろうとし、情報を得ようとしはじめます。
もちろんいろんなツールを使って、家族や親戚の安否を確認しようとしたのですが、それぞれ一長一短がありました。
その中のいくつかをまとめてみましたよ。

■携帯電話、メール
会社と会社の間では比較的通じていましたが、携帯は地震発生から1時間は全くアウト。
携帯の災害用伝言板もi-modeに繋がらないので使い物になりません。
ダンナの携帯には2時間後くらいに連絡が取れ、東京武蔵野にある私の実家の家電にも2時間後には通じました。
歩いて帰宅する最中、なぜか何度も圏外になり、夜中に自宅に着いた時にようやく回線が安定、大量のメールと留守電がなだれ込んできました。
当然ながら岩手県釜石市へは全く通じず、現在でも場所によってはかかりません。

■ネット
東京にいる分には何の問題もなく使えましたよね。
三陸にとてつもなくデカイ地震がきて大津波警報が出された、という情報はまずネットで知り、目の前が真っ暗になりました。
三陸沿岸の市町村サイトはサーバーが壊れたり流されたためでしょうか、すべてNotFoundに。
海沿いや内陸に設置されていたウェブカメラもダメ元で見てみたのですが、やっぱりダメでした。
Googleのパーソン・ファインダーで釜石に住む親戚の名前を片っ端から登録しましたが、2日後あたりまでは「私も探しています」の返事しかもらえませんでした。
ツイッターもブログも掲示板も、「人を探している」「あそこはどうなった」ばかりで、現地の人からの情報はただ「沿岸がえらいことになってる『らしい』」のみ。
悪質なデマもものすごかった、あれは悲しいを通り越して同じ日本人として情けなくなりますね。
初めて親戚の無事が確認できたのは震災から3日後、親戚を保護してくれた見ず知らずの方からのパーソン・ファインダーへの書き込みによってでした。

■テレビ
さすがにテレビ回線は強いですね。
津波の第一波が釜石に到達した様子はリアルタイムでワンセグで見ました。
携帯でワンセグをちゃんと見たのは、携帯を買ってから初めてでしたが(笑)、その初めてがけっこう役に立ちました。
ただ、ものすごい勢いでバッテリーを消耗するので、あまり長時間は見られません。
私の親戚が釜石にいることを知っていた社員が「あなたは電池を無駄遣いしないで私のを使いなさい」と携帯を貸してくれました。
歩いて帰ったときも沿道の電気屋さんが街頭にテレビを出してくれていて、気仙沼が炎に包まれるのを私を含め帰宅困難者全員で呆然と見ていた記憶があります。
中心街や報道が入ったところの被害状況は刻々と入ってきましたが、親戚が住む地域などピンポイントの状況は、「あそこにここまで波が来たってことは」と想像するしかありませんでした。

■固定電話
ほとんどお会いしたことのない遠い親戚からも連絡がきましたが、いずれも「誰々の安否は分かるか」というものばかりで、とにかく現場の様子が分からない。
こちらも親戚との連絡が取れたのは3日後以降。
いずれもあまり喜ばしい情報ではありませんでしたが、とにかく詳細が分かったのはかなり経ってからでした。


結論として、「ネット・携帯は災害に強い」という話は私にとって全く当てはまりませんでした。
基地局が被災した現地はともかく、単純に回線に負荷がかかっただけでアウトでしたし。
被害の少なかった場所にはかなり早く連絡が取れたのですが、一番知りたい現地の情報は数日後まで全く分からず、被災者も外部の者もただ悶々と過ごすしかなかった、というのが正直な感想です。

一番強かったのはテレビでしたが、これもたとえば電波塔がぶっ倒れるとか、テレビ局が被災するなどといった事態になったとき、被災地ではもう何も手段がなくなるということになります。
実際、今回は大規模停電が起きたために、テレビを含めすべての情報手段が途絶えて、ちょっと内陸の人たちは何が起きたのか全く分からなかったそうです。
最終的には海沿いまで自分の足で見に行って「なんなんだこれは」となったと。

意外とワンセグががんばりましたね。
携帯買ったときは「こんなもん絶対使わない」と思ったけど、今はあって良かったと思っています。

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コメント

まともに使えたのはカーナビのワンセグだけでした…
ネットはTwitterが強かったよー。

投稿: SHIN★ | 2011.05.01 10:28

こんにちは。
ワンセグは、今の携帯にする時に第一条件でした。
おさいふ携帯機能はなくてもいいと思っていたら、やはり現在まで使ったことないです。
ワンセグがなぜほしいかと思ったのは、催し物へ行って生中継放送している時にワンセグ見ている人が情報を見て、催し物会場をすぐに移動できたことです。

ワンセグはたまにしか使わないだろうと思ってましたが、朝のニュースやドラマを見続けたい時に、ケイタイのワンセグを見ながら、洗面所やトイレや自室を移動してます。
ケイタイのワンセグには録画機能があるのですが、録画した映像は途切れ途切れで見るに耐えません。
結局、家のハードディスク録画ばかり見ています。

投稿: mi84ta | 2011.05.01 18:09

>SHIN★ちゃん
おおう!コメントありがとう!!!
ワンセグ、携帯を買ったときは全く期待してなかったんだけど(笑)
思わぬ伏兵でしたよ。
Twitterは正直よく分からなかったかも(汗)。
ほしい情報を探すだけで一苦労で、ようやくそれっぽいのにたどり着いても
結局は「誰々を探しています」というようなものだったり。
今回に限っては、被災地はネットどころじゃなかった、ってのが大きいよね。
自分の近しい人が死んだかも知れない、
あるいは自分自身が死ぬかも知れない、というような激甚災害だと
正直つぶやいてる場合じゃないしね。

>mi84taさん
もしかしてmi84taさん、テレビっこ??(笑)

確かにテレビを持ち歩けると、いろんな場面で便利ですよね~。
ラジオも良いんだけど、やっぱり映像ってのは強いんだなと思います。
10mの津波が来た、と言葉で言われても
そんなもの見たこともないんだから想像のしようがない、
んでも、映像だとそのまんま伝わってくるから
「こりゃエライこっちゃ」となる訳です。
・・・まあ、だからって遠くにいて何ができる訳でもないんだけど
「これはしっかりしなきゃ」と気持ち的に覚悟を決めた、というのはあったかなあ。

投稿: しのぶ | 2011.05.02 01:16

会社から貸与されていたWillcom端末は地震発生後もずっと繋がっていましたよ。
東京オフィスや当日ビッグサイトへ出張していたスタッフとの連絡には困りませんでした。

投稿: みやざき | 2011.05.04 20:34

>みやざきさん
Willcomも平気だったんですね、
携帯関係は地震直後から1時間ほどパンクして
日付が変わるまでなんとなく不安定だったけれど
あれは単に渋滞しただけだから、お正月と似たようなもんですね~。

東京はネットも全く不自由しませんでしたねえ。
私もグラグラ揺れながらネットで震源地を確認しましたもん。
てか、東京って被災地って言えるほど被災してないんですよね(笑)。
崩れた建物は古かったり、あるいは施工不良もけっこうある気がしてます。

やっぱり基地局がやられた被災地がどうにもなりませんでした。
東北沿岸部は未だに携帯も固定電話もつながらない場所がたくさんありますしね。

投稿: しのぶ | 2011.05.04 22:07

nikko81です。

わたしのケータイ(G9)も、実はワンセグに
対応してたんだ、と地震が起きて、
ようやく思い出した次第で、しばらく使い方が
よくわからなかったり。

災害時には(電気があれば)ワンセグは
そこそこ使えるな、と思った次第です。

投稿: nikko81 | 2011.05.10 00:54

>nikko81さん
そして私も、隣にいた人がワンセグ使ってるのを見て初めて
「あ、私も持ってたんだ」と気づいたのでした(笑)。
テレビ局が全滅でもしない限り、停電しててもテレビが見られるし
やっぱり映像で確認するのは大切だなと思いますね。
ネットも早くて良いんだけど、時々とんでもないウソが混じってたりするので
特にパニックになってる時はうっかり信じてしまう気もしちゃいます。

投稿: しのぶ | 2011.05.11 00:33

こんばんは。
遅くなりましたが・・・
この手の情報には反応を。
・私が被災したところ:岩手県釜石市片岸町
・避難:片岸のほっかほっか亭に後ろの高台(津波避難場所)
・使えたメディア:直後から一週間はラジオ以外無し。

避難時は携帯のワンセグ、通話は使用不可。
メールは地震直後のみ送受信可→圏外に。
このときは「携帯にワンセグは要らない。ラジオがほしい」と思いました。
同じく高台にいた消防団の無線機と、他人のラジオが情報源でした。

翌日実家に直行するも、固定電話は不通。
停電でTVもだめ。
ここでもしばらくは携帯ラジオが頼りでした。
連絡が取れなく心配した弟が3/14に、横浜から現れたのもびっくり。

この時点で情報源は携帯ラジオと、行政無線による放送。
発信源としては、避難所の名簿のみ。

3/15に初めてNTTの衛星公衆電話で、東京の本社に連絡。(しかしたらい回しにあう)。

一週間は停電でほとんどだめでした。
電気復旧後でもケーブルテレビも浸水により駄目。
実家ではしばらくBSだけが視聴可能でした。

携帯キャリア別の復旧はauが最も早く、SB、ドコモの順でした。

どんなに多機能な携帯でも、今回のような災害では特に被災地では、無力です。
古くからの機械、ラジオが一番でしたね。

二ヶ月たった今、私の浜町のアパートは電気のみ復旧しています。
市街地はソーラー電池によるLED電球の街灯が新設となっています。

928の前には自販機が新設されていましたよ。

投稿: やはた | 2011.05.15 22:25

>やはたさん
なんと、ワンセグさえもダメだったんですね、
これは意外というかかなりガッカリです。
停電になってテレビがダメになっても
ワンセグだけは関係なく使えるとばかり思ってました。
そういえば、栗林に住む親戚が
沿岸に何が起こったのか自分で見に行くまでまるで分からなかった、
と言っていたので、
「なぜワンセグを使わなかったんだろう」と頭の端で不思議に思ってたんです。
一人くらい、ワンセグを使える携帯を持っていただろうにって。

>>連絡が取れなく心配した弟が3/14に、横浜から現れたのもびっくり。

これはものすごいことですねえ。
私の周りでも「どうも家族や親戚がダメっぽい」と分かっても
ガソリンが手に入らないので全く動きが取れなかったのです。
1週間以内に関東から釜石に入れた人はたいていが
会社や団体の代表としてガソリンを確保した人や
国道4号沿いに住む知り合いからそれこそ数リットルずつ
ガソリンを分けてもらいながら釜石まで行った人でした。
弟さんがあの混乱の中どうやって長距離を移動できたのか
おそらくものすごく苦労されたんじゃないでしょうか。

>>928の前には自販機が新設されていましたよ。

なんと!あの釜石のファッションリーダー(笑)928の前に!!
そういえば、ホテルマルエも営業再開しましたね。
お盆の時期に宿泊予約をしました。
サンルートはさすがにお盆には間に合わないようですが
9月ごろには再開できそうですね。
釜石市民文化会館でアルバムなどを保管しているそうですが
これっていつまで置いてくれるんでしょうか。
さすがに夏までは無理かなあ・・・。

投稿: しのぶ | 2011.05.16 00:48

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