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2011.08.19

ゆっくりでいいから復興しよう

釜石市の中心街から5~6kmほど北に行った鵜住居地区。
釜石市でもっとも被害の大きかった地域で、市の犠牲者の半数以上がこの地区に住んでいた人たちでした。

被災前の夏の景色。
ここはJR山田線が通っているのですが、あまり通らない北リアス線の列車が走っているのが見えたので珍しくて写真を撮ったのでした。
笹の葉が夏の雨に濡れて鮮やかな緑をみせていました。
線路の手前に私のお父さんから借りたエルグランドが置いてあるので、たぶん5年くらい前の夏かな。
このときは東京から従弟夫婦を乗せて行ったのですが、やっぱり大きな地震がありました。
従弟たちは一足早く新幹線で帰ったんだけど、列車が動き出したとたん緊急停止してそのまま車中泊してました(汗)。

4月の同じ地点。生い茂っていた笹の葉は潮をかぶってすっかり枯れてしまいました。
線路の上には横倒しになった家屋が。
きっとものすごく遠くから流れてきたんだと思います。

8月。線路上に乗っていた家屋や瓦礫はきれいに撤去されて、雑草が生えまくりです。
鵜住居

線路は流されたり、飴のように曲がってしまったけれど、比較的綺麗なものはこうして路線の横に置かれていました。
もしかしたら、いつか復旧するときのために使えそうな物だけとってあるのかな?
鵜住居


同じ場所から北を向いて撮影。
鵜住居
これは4月の様子。
この辺りは住宅街で往来の邪魔になるわけではないため、瓦礫は取り残された人の捜索以外ではほとんど手をつけられていませんでした。

8月に行ったときは、こんなにさっぱり撤去されていましたよ。
端っこを見るとまだ瓦礫は残っていますが、かなり片付きました、4ヶ月前と比べると、もう被災地ではないみたい、単なる空き地のように見えませんか?(さすがに無理か)
鵜住居


同じく鵜住居町にあるローソン。
鵜住居ローソン跡
錆びた鉄骨が元ローソンです。
周りには鉄筋コンクリートの店舗が何件かあって、大破はしたものの流されずに残っていたのですが、この鉄骨を残してほとんど撤去されました。
なぜこの鉄骨だけがこうして残されているのかは不明ですが、ローソンは再開の意欲を見せています。
吉里吉里(きりきり)みたいに仮設でも良いから再開してほしいなあ。
ここ、夜通ると、街灯も信号もないから激しく怖いのです。
ただ、ここまでどうやって電気や水道などのライフラインを通すのか、という大きな課題はありますね・・・。
3月11日の様子、知り合いからいただいた画像です。
左上の白い岸壁のようになってしまったものがローソンです。
右下の屋根瓦は、上の写真で横断歩道の上にありました。
20110818_12

釜石市の北に位置する大槌町で見た横断幕。
大槌町

どこかで聞いたセリフですか?もしかしてけっこう年齢いってる?(笑)
岩手県大槌町は井上ひさしの代表作「ひょっこりひょうたん島」や「吉里吉里人」のモデルとなった場所で、この言葉は「ひょっこりひょうたん島」の主題歌の一部なんです。
モブログ投稿したローソンも吉里吉里店だったでしょっ。
実際に蓬莱島がひょうたんのような形の小さな島(岩?)があって、津波で全部潜っちゃったけどちゃんと残ってますよ。
asahi.com(朝日新聞社):ひょうたん島の灯台、津波で崩落 吉里吉里人は復興着手 - 東日本大震災

これがいつもの三陸沿岸の見慣れた風景。
20110818_13
入り組んだリアス式海岸の特徴で、普段はこんなに穏やか、まるで湖のように波が小さいのです。
そして、山に囲まれているので水平線がほとんど見えないのも三陸沿岸の特徴。
この写真なんか、本当に湖みたいでしょ。

自然は思ったほど壊れていません。
海もかなり早く復活していました。
雑草は人のいた場所を早々と占拠しています。

人はどうですか。

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