1年半後の釜石
東日本大震災から1年半が経ったということで、NHKなどでは改めて様々な特集が放送されてましたね。
歩みは遅くとも着実に復興しているところもあれば、1年半前から完全に時が止まってしまったところまで、これからますます場所によって開きが出てくるんだと思います。
釜石市にある鵜住居地区は、市内でも最も甚大な被害を受け、人口は市内の16%しか占めていないのに、死者行方不明者数は市内全体の60%以上に及びました。
震災前の鵜住居地区
JR山田線をリアス鉄道の列車が走っている様子です。ごくごく普通の田舎の風景でした。
画面の真ん中でデカイ顔をしてるのが、私のお父さんに借りたエルグランド。
震災から1ヶ月後の4月。
線路の上にまで家屋がや瓦礫が流されて、竹藪は枯れ、海砂があたりを覆い尽くしていました。
5ヶ月後の8月。
大きな瓦礫は撤去されましたが海砂が見えなくなったのは、単に雑草が増えたから。
あれから更に1年、今年の8月です。上の写真とほとんど変わっていません。
唯一変わったのは、海水に浸かって枯れたと思ってた笹竹がどうやら復活してきたらしいことと、細かい瓦礫や砂が撤去されて、建物の土台が見えてきたこと。
陸前高田の一本松は、地盤沈下で土に海水が恒久的に含まれるようになったので枯れてしまいましたが、こちらは数日で水が引いて乾いたのと、地下にまでは海水がしみこまなかったおかげで比較的植生が戻っています。
ここら辺も住宅街で、家々がビッシリ並んでいたのですが、1年ちょっと人がいないだけでこうも見事に荒れ果てるのかと呆れてしまいます。
この写真を撮ったときは8月で、夏休みということもあって東京ナンバーのツアーバスがたくさん来ていました。
私は家族を亡くした鵜住居地区防災センターで線香をあげるために来たのですが、この日も2階に大勢の見学客がいました。
私は1年半経ってようやく建物の中に入れたよ・・・、みんな勇気あるね。
東京からわざわざここまで来るような人たちなので、みんなガイドさんの話に一生懸命耳を傾けていました。
私も横でちょっとだけ聞いてたんですが、ガイドさんは地元の、恐らくボランティアなのでしょう、実際に体験した人の話なのでとても重くて、途中で逃げ出してしまいました・・・。
防災センターは、それでも比較的綺麗にされて中に入っても安全なよう、内部まで入り込んでいた瓦礫も取り除かれています。
しかし、すぐ裏にある保育園は完全に放置されて、ますます凄惨なことになっています。
実際は、どこの状況も似たようなものです。
家を建てようにも土地がないし、復興計画も定まっていないので、動きが取れないのです。
土地があっても異常に高騰してとても手が出せる価格ではなくなっています。
住み慣れた町を捨てて出ていくか、あるいは不便であっても内陸の隣町に家を構えるしかありません。
一度流された場所に再び家を建てる人がついに出てきました。
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